今回の宮城沖大地震を被災した方々にお悔やみ申し上げます。
想像を超えた激甚の大災害となった。一日も早い復興に向けて、大変だろうが、助け合い励ましあって成し遂げていただきたい。
東京でも震度5弱を観測し、目と鼻の先の九段会館では天井の一部が落下し死者がでた。この程度でも私にとって経験したことのない揺れだったことを考えれば、直接被災地の方々の恐怖はいかばかりであったか。
特に津波はその猛威の前になすすべもない!といった感じだ。
これほどの被害になろうとは専門家ですら予測できなかったようだ。
ただ、警報の出し方に問題はなかったかと思う。
津波の怖さは波の高さだけではない。というよりその圧倒的な水量の多さとスピードだ。
そもそも波という表現は適切かどうかも問題だと考えていた。波といえば寄せては引く、という印象が強いと考える
たとえば、沖から1mの津波が押し寄せてきたとき、その津波は想像を超える水量をかかえて押し寄せてくるのだ。
この計り知れない水量が湾などに入ってきた場合、その高波はあっという間に数メートルを超え、一気に速度が落ちるので、後から来る圧倒的な水量がさらに波を高くするということだ。台風などの高波とは桁違いのエネルギーがある。
この津波の怖さを伝える場合、この水量の多さをどのように伝え、警報に活かせるかを考えることは大切なことだと思う。
これほどの被害をもたらした津波であったが、2月11日は小潮。潮位変化の少ない日であった。それにもかかわらずこれほどの被害が出た。もしこの日が大潮の日で満潮に重なればもっと大きな被害をもたらしたかもしれない。やはり沿岸の防災のあり方はもちろんだが、津波の恐ろしさを適切に知らせる警報の出し方も検討していただきたい。
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