2009年1月11日日曜日

闘争心がなくなったら酒をやめる?

闘争心がなくなったら酒を止めるといった人がいた。しかし、止める前に病に倒れ永眠した。彼の言う「闘争心」とは何であったのか、今では知るよしもないが、酒飲みのはしくれとして何となく分かる気がする。ただし、ここでいう「酒」とは家酒ではない。酒場で飲む酒のこと。

酒場で人にはじめて酔ったのは、学生時代。そこはたしか江古田の和田屋だったと思う。友人の行きつけの店だった。その後和田屋に限らず江古田に行く機会はなかったが日芸の学生がよくきていた店だったと思う。時代は70年代前半の学生運動も一段落した頃、友人と中原中也の話をしていると、後ろに人の気配。振り向くとそこには数人の日芸とおぼしき学生達。もうそれからは中原中也論で喧々囂々、時には時事問題から文学、芸術、演劇の話、果ては革命論まで熱く論じたり茶化したりしながら意気投合。誰が言ったか行きつけのジャズを聴かせる店があるということで一見の学生達と二次会、三次会。こんな経験から酒場の持つ独特の雰囲気に酔いハマっていった。江古田には日芸のほかにも武蔵大学や武蔵野音大などがあり、今は知らないが個性豊かな学生達が夜な夜な酒場にたむろしていたのだ。

次ぎに酔ったのは、いわゆるマスターとかママと呼ばれる方々との出逢い。角川書店の編集をしていたというF氏と一緒に六本木のとある酒場へ。酔っていたのとタクシーでいきなり乗り付けてしまったので、あいにく店の名前も場所もよく覚えていない。ただ、お客さんの一人に田辺聖子女史がいて、「このマスター、早稲田の政経をストレートででたくせになあんにも知らないのよ」という。そのマスター、よく「それってどういうこと?」とか、「どういう意味?」などと質問してくるのだ。いい加減な聞きかじりで知ったかぶりするとあとで赤っ恥!というとになりかねない。蘊蓄や知識をひけらかしながら飲むというより、勢い実感のこもった話題が飛び交うことが多くなる。それだけではなかった。このマスター一見頼りなげの雰囲気をもっていたが、じっくり客を観察しているようで、客同士の会話が弾むように、話をつないだり、他の客に話をふったり、その辺が見事だった。こじゃれた会話で客を愉しませるマスターやママも捨てがたいが、このように客と客をつなぐ店も面白い。

闘争心の話から脱線してしまったが、実はこの話の中に多分ヒントがある。酒場には人に出会う、生きた会話に触れる楽しみがある。しかし、得るだけでは上質の呑兵衛にはなれない。与えることがなくてはならないのだ。時には相手を喰い、和ませたり、駆け引きをしたり、切り返したり、場を読み、場を創っていく・・・。まさに闘争心なくしてできることではない。それでは酔えない?いえいえ、酔ってこそできることなのだ。

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